Monday, September 20, 2010

ペニシリン(その17):1944年ノルマンデー上陸作戦


1941年10例の治験成功例の公表後もで英国製薬企業には,このペニシリン研究
の援助を行うこと,将来くすりとして有望であるから企業化しようとの動きがあり
ませんでした。

フローリー教授とヒートレイはアメリカにわたり米国政府,メルク社をはじめと

した米国製薬企業の協力を仰ぎます。こうしてペニシリンの生産は開発された
英国でなくアメリカでなされることなりました。

3年後,1944年6月ノルマンデー上陸作戦の時にはアメリカのペニシリン製造は
約4万人分/月産にまでなりました。このペニシリンの9割はアメリカの製薬会
社ファイザー社が,深底タンク発酵法で作りました。

→ http://www.pfizer.co.jp/pfizer/company/150_history/start.htm

同年,ファイザー社は製造特許を取得しました。

生化学者であったチェイン博士は反対しましたが,フローリー教授はペニシリン
の製法に関して特許をとる意図がまったくありませんでした。皮肉なことに,
第二次大戦後ペニシリンの販売で英国製薬会社がアメリカの会社に特許を払う

はめになりました。その後,セファロスポリン系抗生物質が同じオックスフォー
ド大学の研究者により発見されますが,ペニシリンの失敗に懲りて特許を取得し
ました。


ご質問はーーー
〒755ー0097
山口県 宇部市 常盤台1丁目20−2
上宇部こどもクリニック 萩原啓二 
電話: 0836-29-1155
Fax : 0836-29-1156
E-mail: keijihagiwara@gmail.com